大判例

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東京地方裁判所 平成7年(ワ)18167号 判決 1996年2月27日

原告

牛丸幸夫

牛丸幹子

右訴訟代理人弁護士

大野裕

被告

右代表者法務大臣

長尾立子

右指定代理人

植垣勝裕

西岡義郎

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告ら各自に対し、金二〇〇万円及びこれに対する平成七年九月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  原告らの長男は、訴外高橋廣人(以下「高橋」という。)の運転する普通貨物自動車による交通事故で死亡した。浦和地方検察庁越谷支部検察官は、高橋を不起訴処分としたところ、浦和検察審査会は右不起訴処分を不当とする議決を行ったが、浦和地方検察庁検察官は高橋を再度不起訴処分とした。

本件は、原告らが、右二度に渡る不起訴処分は検察官に与えられている起訴・不起訴の裁量権の範囲を明白に逸脱した違法な行為であり、右処分により原告らの処罰感情が慰謝されず、被害者の名誉が侵害されて精神的苦痛を受けたとして、被告に対し慰謝料二〇〇万円の損害賠償を求めている事案である(遅延損害金の起算日は訴状送達の日の翌日)。

二  争いのない事実

1  原告らの長男牛丸大介(以下「大介」という。)は、以下の交通事故により、平成二年九月一五日午後二時二〇分ころ頸椎骨折のため死亡した。

(一) 日時 平成二年九月一五日午後一時七分ころ

(二) 場所 埼玉県越谷市七左町五丁目五番地二先T字路交差点

(三) 加害車両 普通貨物自動車

右運転者 高橋

(四) 被害車両 自転車

右運転者 大介

2  本件交通事故については、高橋を被疑者とする業務上過失致死被疑事件として立件されたが、浦和地方検察庁越谷支部検察官菅井利夫は、平成四年五月二六日、高橋を不起訴処分とした。

3  原告牛丸幸夫は、浦和検察審査会に対し、平成四年七月六日、審査の申立てをするとともに、平成五年六月二一日、「加害車両の前部バンパーが被害自転車の後部に追突し、加害車両の左前輪が被害自転車及び大介を轢過した。」という主旨の江守一郎成蹊大学名誉教授(工学博士・自動車工学)の鑑定書を提出した。

4  平成五年一〇月六日、浦和検察審査会は、原告牛丸幸夫の申立てを検察審査会法三〇条所定の申立権者に該当しないとの理由で却下したが、職権で審査を行い、検察官の行った不起訴処分を不当とする議決を行った。

5  右議決を受けた浦和地方検察庁検察官坂田一男は、平成七年三月二九日、高橋を再度不起訴処分とした。

三  争点

1  本件の主たる争点は、犯罪の被害者の親族は、検察官の不起訴処分の違法を理由として、国家賠償法の規定に基づき処罰感情が慰謝されなかったこと及び被害者の名誉が侵害されたことにより精神的苦痛を被ったことによる損害賠償請求をすることができるかどうかである。

2  争点に対する当事者の主張

(原告らの主張)

(一) 本件事故の態様は、高橋が加害車両(ダンプ)を運転し、埼玉県越谷市七左町五丁目五番地二先T字路交差点を北方から西方に向かって右折進行するにあたり、同車両の前方を同じく右折進行していた被害自転車の後輪泥よけに加害車両の前部バンパーを追突させたため、被害自転車及び大介は転倒し、加害車両の左前輪が同人を轢過したというものであり、高橋の前方不注視の重大な過失によって発生したものである。しかも、被害者大介には何らの落ち度もない上、高橋には反省の情が一切なく、示談も成立していないし、加害車両は任意保険に加入していないため示談成立の見込みもない。右の事情下における本件二度にわたる不起訴処分は、検察官に与えられている起訴・不起訴の裁量権の範囲を明白に逸脱するものであって違法である。

大介は、本件交通事故当時満八歳の健全な男児であり、同人は原告らの愛情を一身に受けていた。原告らは本件交通事故により突然最愛の息子を失い悲嘆にくれるとともに、一方的かつ基本的な過失によって事故を発生させた高橋に対し厳正な刑事処罰が下されることを当然のこととして期待した。しかるに本件二度にわたる不起訴処分によって、遺族である原告らの処罰感情は慰謝されなかったのみならず、検察官による不起訴処分がなされた結果、高橋は自らの責任を回避する言動をとるに至り、この結果、被害者の名誉が侵害され、その両親である原告らは甚大なる精神的苦痛を被った。この精神的苦痛に対する慰謝料としては、原告両名につき各金二〇〇万円が相当である。

(二) 被告の主張に対する反論

(1) 日本国憲法において、行政活動は全て法によって規律され、法に即して行われる。右法治行政を担保するためには、行政権が法律の趣旨、規定に違反して権力を行使しあるいは行使しなかったことによって国民の自由、名誉、財産等を侵害した場合には、行政権に対し違法な侵害の排除を求めたり、損害の賠償を求めることが国民の権利として認められなければならない。被告主張の反射的利益論は、国民主権に立脚する現行憲法の理念とそぐわないと言わざるを得ない。

反射的利益論に立つならば、その「反射的利益」が生命その他いかに重大なものであっても、あるいは当該公務員の行為が重大な過失さらには故意に基づくような場合も、被害者は国家賠償を求めえないこととなり、極めて不当である。

検察官の不起訴処分の違法についても、反射的利益論によれば、検察官が被害者に対する加害の意図をもって公訴提起を行わなかった場合等においても、国家賠償請求が門前払いとなればそれを是正する手段がないこととなってしまう。また、検察官の公訴権の行使の目的が「国家及び社会の秩序維持」にあるとしても、被害者の慰謝や名誉回復の措置が全く講ぜられない状況下では、犯罪被害者のみならず国民はだれも検察官の公訴権の行使に信頼を置かないこととなるから、検察官の公訴権の不当な不行使に対しては、司法がそれに代わって被害の回復に努めてこそ、「国家及び社会の秩序の維持」の目的にかなうのである。

(2) 近時の判例においても、法執行の結果、国民に生ずる利益は出来るだけ国民個人のための利益であると実定法の趣旨を解釈することによって、保護法益の範囲を拡大していこうとする傾向にある。

犯罪被害者等に認められている告訴権は、現に捜査が開始されている場合でも告訴が認められていることからしても、単に捜査の端緒としての意味だけではないことは明らかである。告訴があった場合は告訴人に処分結果を通知する義務があるとされ、不起訴となった場合には検察審査会への申立てが認められている。また、業務上過失致死傷等「被害者のある犯罪」において、被害者の処罰感情の有無・程度や死者の名誉回復は、検察官が公訴提起の際に最も重視する要素の一つである。右の事実からすれば、犯罪被害者の処罰感情や名誉は、事実上の利益に止まるものではなく、「法律上保護された利益」とみるべきである。

(被告の主張)

(一) 原告らの主張(一)のうち、「本件交通事故につき示談が成立しておらず、任意保険に加入していないため示談成立の見込みもない」との点は不知、その余は争う。

(二) 刑事訴訟法の定める国家訴追主義の下においては、犯罪の被害者は告訴をし、また一般人は告発をすることができるものの、これは単に検察官の職権発動を促すものに過ぎない。犯罪の捜査及び検察官による公訴権の行使は、国家及び社会の秩序維持という公益を図る目的のために行われるものであって、犯罪の被害者等の被侵害利益ないし損害の回復を目的とするものではなく、被害者又は告訴人(告発人)が捜査又は公訴提起によって受ける利益は、公益上の見地に立って行われる捜査又は公訴の提起によって反射的にもたらされる事実上の利益にすぎず、法律上保護された利益ではないというべきである。したがって被害者等は、検察官の不起訴処分の違法を理由として、国家賠償法の規定に基づく損害賠償請求をすることはできない。

第三  争点に対する判断

本件請求は、前記各不起訴処分の結果、犯罪被害者の遺族である原告らの処罰感情が慰謝されず、また被害者の名誉が侵害されその両親である原告らが精神的苦痛を受けたとして損害賠償を求めるものである。

しかしながら、検察官による公訴権の行使は、国家及び社会の秩序維持という公益を図るために行われるものであって、犯罪の被害者の被侵害利益ないし損害の回復を目的とするものではなく、また、告訴は、捜査機関に犯罪捜査の端緒を与え、検察官の職権発動を促すものに過ぎないから、被害者又は告訴人が公訴提起によって受ける利益は、公益上の見地に立って行われる公訴の提起によって反射的にもたらされる事実上の利益にすぎず、法律上保護された利益ではないというべきであり(最高裁判所平成二年二月二〇日判決参照)、このことは被害者の親族が公訴提起により受ける利益についても同様である。したがって、被害者の親族は、検察官の不起訴処分により被害感情の慰謝ないし被害者の名誉回復がなされなかったことを理由として、国家賠償法の規定に基づく損害賠償請求をすることはできないというべきである。

また、被害者(亡大介)の名誉侵害が高橋の責任回避の言動によるものであるとの主張であるとすると、本件各不起訴処分と原告らの主張の損害との間に相当因果関係を肯定することは困難である。

以上から、その余の点を検討するまでもなく、原告らの請求は理由がない。

(裁判長裁判官宗宮英俊 裁判官小林宏司 裁判官中山雅之)

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